今夜のお見合いは四十歳と三十六歳のお二人。会社員と小学校の先生で七時半の約束。大雪の渋滞を見越して早めに着いた彼に熱いお茶をすすめる。「男ってつくづくさみしいものだ」と言う。
先日の相談者からも同じ言葉を聞いた。この年代は園児や小学生のお父さんたちだ。「子はかすがい」という言葉はいつから死語になってしまったのか?一番大事な時期に子供たちから父親を取り上げてしまってよいものか?今や結婚生活は五十年に及ぶ時代。
円満に過ごす過程もある一方、円満組とはよほど気の合う二人なのか、それとも我慢強いのか楽天家なのかと言わんばかりに波乱を起こす夫婦もある。雨降って地固まり、やがておさまればかえってお互いを思いやる心、感謝の心が一層深まってしっかりしたきずなが結ばれる。ただ、一度ヒビの入ったものを元のさやにおさめるのは容易なことではない。
願いとはうらはらに、やがて離婚請求は妻の方から出される。浮気やギャンブルなどで生活費を入れないなどというのならともかく、妻は夫の苦労を理解しようともせず、事もあろうに「仕事一筋で毎晩遅い」夫の世話はもうたくさん、ということらしい。
早く帰り家庭だんらんを楽しみたいのはやまやまだが、忙しい営業職の彼は疲れてやっと家にたどり着く毎日。子供を育てながら支えてこそ妻の役目ではないだろうか。
二人三脚を放棄し、離婚を考える理由の一つには、妻とその実家のわがままが見え隠れする。十年余の結婚生活は何だったのか?自問を繰り返し、悔しさに腹が立ちつつ悩み抜いた末、半年後に彼は離婚した。
破たんの原因はいろいろあろうが、熱烈恋愛の末が、いつの間にか飽きてしまったように家庭内離婚から別居…のプロセスは大体同じようなパターン。そこには妻の実家の存在が大きいのを見逃せない。「娘と孫はすぐにも帰っておいで、大歓迎だ!」「ムコの顔など見たくもない」と、娘の言うことをすべてうのみにして味方する。養育費を過大に請求し「ではサヨウナラ」とは、許せないことだ。一卵性母娘という言葉が流行するように娘との気楽さ、老後を見てほしいというエゴがモロに出ていて考えさせられる。
「バスが遅れまして」と彼女が到着した。「私のクラスにも母子家庭がいて詳しい事情は分かりませんが、子供たちは皆明るく頑張っていますよ」とのこと。私はホッと救われた気持ちになった。お互いの中に、ともに生きようという愛を見いだしますようにと祈って二人を送り出した。